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宅島正ニ 写真集『 緑なき島を去る人々 その時・・・』新品 *サイン入り

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写真 テキスト:宅島正ニ 文字デザイン :佐藤恵子 編集     :鶴巻育子 協力     :滝川雅人 発行日    :2024年4月16日 サイズ    :A4変形 210mm×210mm ページ数   :58ページ *サイン入り 50年前の1974年、写真学校学生だった宅島正二。卒業制作に選んだのは閉山が決まっていた故郷長崎の軍艦島。当時制作したプリントと宅島が50年前に制作した手作り写真集を元に構成。当時の貴重な光景が記録されています。2024年4月Jam Photo Galleryで開催された写真展と同時に発刊。 -------------------- 1974年1月をもって軍艦島の炭鉱が閉山となることを耳にしたのは1973年の秋であった。端島というのが正確な名である。戦艦土佐にシルエットが似ている事で軍艦島と呼ばれるようになった。幅160 m、長さ480m。東京ドーム1.34個分という小さな島は、炭鉱により日本の近代工業の発展を支えてきた。最盛期には5,200人もの人々が住み、人口密度は東京の9倍に達し世界一と言われ、日本初鉄筋コンクリートの高層集合住宅、学校、映画館、レストラン、病院など最先端の機能を持つ炭鉱都市として栄えた。 ​当時私は25歳で東京写真専門学院に入学し、2年後の27歳のとき我が故郷の代表的な炭鉱を卒業制作のテーマとして選んだ。1974年3月に島を訪れ撮影を開始したのは無人島になる1ヶ月前のことだった。閉山に向けて島中が慌しかった。子供たちが無邪気に走り回る中、人々は移転、転職にと忙しく年配者たちも終始移動の準備に追われていた。連絡船が岸壁に着くたびに人々は島を去っていく。果たして彼らはどのような心境だったのだろうか。私はこの島を去る人々とその風景をただ黙々と記録し続けた。きっかけは卒業制作のためだったが、私にとって生涯で一番の思い入れのある撮影となったのは間違いない。暗室にこもり完成したプリントに加え、密かに手作りした小さな写真集は私の宝物だ。 ​2024年軍艦島閉山から50年を迎えます。今展では学生時代の私が自らプリントしたヴィンテージプリントと、私の机の引き出しに50年間そっと仕舞っていた大切な写真集からセレクトで構成するため、2014年4月に開催したJCIIでの展示とはひと味違う趣きになっていると思います。若き日の私が見た軍艦島、最後の姿をたくさんの方にご高覧いただき、当時の軍艦島の姿を後世に伝えられたら嬉しく思います。 *作品ステートメントより -------------------- 宅島正二 (たくしましょうじ) 1947年 長崎県雲仙市小浜町生まれ 1965年 長崎県立小浜高等学校卒業 1967年 大型貨物船員として約5年間世界を周る 1975年 東京写真専門学院(現・専門学校東京ビジュアルアーツ)卒業後、写真家 宮崎進氏に師事 1978年 フリーランスとして独立 1980年 スタジオタクを設立し、商業写真家として活動する 1998年 日本ローイング協会広報部スタッフとしてボート競技の撮影を開始し現在も続けている

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